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はじめに
2013年に世界文化遺産に登録され、誰もが知っている富士山。
いまや日本人だけではなく、世界中から富士山を目当てに、たくさんの観光客が訪れていますが、ほとんどの人は富士山について、知らないことの方が多いはずです。
そんな私も、富士山の写真撮影を趣味として、よく富士五湖周辺などに通っていたくせに、富士山の歴史なども全く知りません。
それならばと、情報収集と知識の整理を兼ねて、ブログにまとめてみようと思い、少しずつ内容を追加して行きたいと思います。
富士山のトリビア
富士山の年齢は何歳?約1万歳です。
富士山の土台になった「古富士火山」が活動を始めたのが、およそ10万年前、そしていまの富士山(新富士火口)が誕生したのは、およそ1万年前になります。
簡単な生立ちは、以下の通りになりますが、日本の火山の平均寿命は、数十万年単位が珍しくないので、いまの富士山は人間に例えれば、まだピチピチの赤ちゃん肌を持つ、乳幼児と言ったところでしょうか。
富士山を見ていただくと、山肌も滑らかで、そのなだらかで美しい山容は、太古の氷河などで削り取られた、北アルプスなどの深い渓谷が作る壮年の山とは、大きく異なることが分かると思います。
【10万年前】大規模な噴火を繰り返し、標高2500メートルを超える「古富士」へ成長。
【1万年前】山頂の火口が「新富士」へ移動、ふたつのピークを持つ双耳峰へと変化。
【2900年前】東側の古いピークが崩壊して、土石流となり東側の山麓を埋め尽くす。
【2200年前】西側のピークは噴火を続けて、なだらかな山容に変化。
【1150年前】北西の噴火で精進湖と西湖が作られ、青木ヶ原に広大な樹海が育つ。
【300年前】江戸時代に、南東の斜面に、最も新しい宝永の噴火が起きる。
【現在】300年あまり静かに佇む富士山も、まだ火山活動は終わっていない。
富士山の所有者は誰?元々は徳川家康が所有していた。
いったい富士山は誰のものなんでしょうか?
日本の文化を象徴する富士山ですから、当然、国有地かと思いきや、実は富士山の八合九勺(標高3,360m)から上部は、私有地だったのです。
その所有者とは、全国に1,300以上もある浅間神社の中の、静岡県富士宮市に総本宮を構える「富士山本宮浅間大社」なのです。
つまり、富士山の八合九勺(標高3,360m)から上部は、「富士山本宮浅間大社」の境内であると言う事実は、驚きではないでしょうか?
本宮は富士山南麓にあり、奥宮が富士山頂にあるのです。
富士山の麓に浅間大神をお祀りして、富士山の噴火を鎮めたことから、浅間信仰と呼ばれる、富士山をご神体とする、浅間大神への信仰が広まりました。
そもそもは江戸時代には、徳川家康が富士山を所有しており、1606年に富士山本宮浅間大社に寄進されたと伝えられています。
富士山の山頂は、いまも私有地であり、元々は徳川家康が所有していたとは、二重のびっくりですね。
千円札の「逆さ富士」は本栖湖の湖畔じゃない?正解です。
千円札に描かれた逆さ富士は、本栖湖から見える景色として、有名かとおもいますが、実際に訪れて見比べた経験がある人は、違和感を感じませんでしたか?
たしかに本栖湖の湖畔には、撮影場所の案内板があり、いつも多くの観光客が訪れていますが、なんだか微妙に見えてるアングルが違うと、感じた人は正しいです。
実は本栖湖の湖畔からでは、あのアングルには見えないのです。
千円札に描かれた「逆さ富士」は、大正から昭和にかけて活躍した写真家「岡田紅陽」氏が撮影した、「湖畔の春」という作品が、モデルになっています。
その撮影場所はと言うと、案内板と道を挟んだ裏手の山に登山道があり、その裏山を登り道標に案内される場所にたどり着くと、「湖畔の春」の撮影場所となった、展望スペースがあるのです。
そこから見える風景に、間違いなく千円札の富士山であることを、確認いただけると思います。
現在は、展望台や道標も整備され、迷うことも少ないと思いますが、そこそこ山道を登り疲れますので、ご注意ください。
昔の人は富士山の雲の形で天気を予測してた?正解です。
富士山を観察していると、頭上に面白い形の雲が現れます。
古来からの言い伝えとして残っているのは、「富士山が笠雲をかぶれば近いうちに雨」と言われており、実際、24時間以内に高い確率で雨が降るようです。
笠雲に関しては他にも「ひとつ笠は雨、二重笠は風雨」の言い伝えもあり、富士山にかかる雲の形は、古来から天気を予測するための目印とされ、的中率も高く山麓の人々に信じられていたようです。
以下の写真が、代表的な富士山の頭上にかかる笠雲です。
その時の気象条件によって、さまざまな形の雲が発生することがありますので、富士山が見えたならば雲の形にも、注目してみるのも面白いかも知れませんね。
まとめ
自分が興味を持った内容を中心に、まとめてみました。
まだまだ知らないこと、何かの話しのネタになりそうなことが、たくさん残っていると思います。
いずれは、富士山撮影をライフワークとして、山梨県への移住を夢見ている身としては、もっと富士山のことを知らねばと思い立ち、勉強を兼ねてブログにまとめてみようと考えたのが、この記事の始まりです。
ゆっくりになりますが、継続的にネタを集めてみようと思います。
ではまた。